三谷城跡

河野通久が阿波国富田荘(今の徳島市)に所領を有していたとき、伊予市三谷出身の三谷美作介政久一族が頼ってきたので、周布三谷の地を与えた。弘安年間(1278年~1288年)に、この地に三谷城を築いたと伝えられる。
県の中世城館調査によれば、城の縄張りは長軸250m短軸200mの規模を有し、南は本郷川を利用し、周囲には塀や土塁を巡らし、土塁には矢狭間(やはざま)を設けるなど、堅固な城館であったという。土塁構築のために大量の土を取った地区を「土取部落」といい、今に築城の名残をとどめている。
三谷氏が滅んだ後も、越智氏、渡部氏と城主が変わりながら、城館は健在であった。享禄4年(1531年)、剣山城主黒川元春が渡部氏を滅ぼした後は、黒川氏8人衆の一人荒井藤四郎考宣の拠るところとなった。

33.914081,133.081502
アクセス 今治小松自動車道東予丹原ICより車で約3分
所在地 愛媛県西条市周布
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